タガタメに限ったことでは無いが、付き合い方を間違えると楽しく無くなるし苦しくなる。
仕事でも勉強でもそうだ。的確な意味を見い出せば、自発的に楽しく取り組めるが、強制や義務と感じると途端に嫌になる。
どうも真理開眼と真理念装が導入された頃から、タガタメとうまく付き合えないプレイヤーがとみに増えたようだ。
課金の結果が意味するもの
スマホゲーに限らず、オンラインゲームに見られる不可解な現象がある。
完璧主義!?潔癖症!?
過度な完璧主義、或いは潔癖症だ。
タガタメで言えば、ユニットは軒並み最高レベル、限定ユニットも上限までレベルを上げなければならない、真理開眼が導入されれば、実装されたユニットは全て開眼する。
こんな風に思いこめば、お金も時間もいくらあっても足りなくなる。
原動力は、恐らく他のプレイヤーに誇示したいという欲求であろうとは思うが、ひょっとすると何らかの病理が潜んでいるのではないかとすら思う。
自分を見つめ直す
と言うのも、際限なくお金をつぎ込むこと、ゲームばかりに時間を費やすことは、決して尊敬されることでは無いからだ。
あくまで余裕のあるお金で、余暇を楽しむもののはず。
当たり前の話だが、余裕のあるお金も余暇も、その量は人によってまちまちのはずだ。お金に余裕がある者、時間に余裕がある者、或いはどちらもあまりない者、様々だろう。
言い換えれば、ゲームは、少なからず、何らかの制約がある状態(条件)で楽しむものなのだ。
条件が揃わない競い合い
そう考えると、条件が同じでない以上、条件が揃わない以上は、互いに競い合うには無理がある。
囲碁や将棋のように、勝負の開始時にはお互い同条件なら話は違うが、費やした時間やお金で勝負の度に条件が変る。
例えばタガタメのドラフトマッチは、同じ条件下で勝負可能だから競うことは可能だ。尤も好きか嫌いかは別の話だが。いずれにせよ、条件が揃えば競い合うこと自体に問題は起きないと言えるだろう。
課金促進
揃っていない条件下で、競わせることは課金を促していると理解した方が好い。
pay to winのゲーム、つまり勝つためにお金を払うことが求められるゲームでは、勝つために必要なのは、プレイヤースキルよりも課金額への依存度が大きくなる。
勝つこと、或いはクエストクリアで、あなたが何を誇れるのか、あなたが何を誇っているのかをじっくりと見詰め直すと好い。
行動回数ランキングでは、キャラクター育成(ユニット育成)が進んでいるだけでは勿論、順位を上げることはできないが、育成がある程度、進んでいない限り順位を上げることはできない。
つまり、課金しただけでは、順位は上げられないが、課金或いは膨大な時間を費やすことにより、かなり育成が進んでいなければ、足元にも及ばない。
ここで理解したいことは、揃わない条件下で競い合うことは課金欲求を高めるということ。
金の力
従って、課金で優位に立つことで勝ったのなら、それはあくまでもお金の力だということ。つまり誇るべきは課金額と言うことになる。
リリース当初のゲームによく見られるようにスタートダッシュと称して、一気に課金育成し、上位に上り詰めることが、あまり恰好のいいものでは無いことが分かってもらえるだろうか。
単に金と時間とを膨大に注ぎ込んだだけに過ぎないからだ。
そんなプレイヤーは、仲間内ではちやほやされるかもしれないが、それはただただ協力が欲しいからだろう。
裏で廃課金、廃人と云った具合に蔑称で呼ばれていることもしばしばある。
お伝えしたかったのは、勝つための際限なくお金を注ぎ込むことを戒めることだ。
さて、では改めて課金の在り方を考えてみよう。
望まれる課金の在り方
ここまで見てきて、条件の揃わない競い合いの為の課金は避けるべきであるということは、理解できると思う。
ただそれだけでは無い。当たり前の話だが節度が求められるのだ。
では節度とは何か。
例えば、ピックアップ召喚で、欲しいキャラクターユニットが引けるまで続けることでは無いことは分かるだろう。
出るまで引くことで総額で幾らかかるかは知れたものでは無いし、もしかしたら、あなたには決して出ないかもしれない。
何回引いたところで、確率の意味は変わらないからだ。※
※ 10回引いた後の10%も100回引いた後の10%も1000回引いた後の10%も同じということ。
さて、ここに云う節度とは予算を決めること。予め使って良い上限額を決めておくことだ。
もう一つ大切なことは、どんなに好きなキャラクターでもどんなに欲しいキャラクターでも絶対に手に入れようとは思わないこと。
絶対と思うことで、底なし沼に嵌る。一旦、絶対欲しいと思って底なし沼に嵌ると、再び嵌ってしまう。
予算を無視し、絶対と思ってしまう時点で、病気だと思った方が好い。
依存症
よく似た姿を思い浮かべることができないだろうか。
ギャンブル依存症である。
確たる勝算が無いのにもかかわらず、勝つまで続けようという姿勢は、これまで外れた10%もこれから引く10%も変わりないのに、出るまでとガチャを引き続ける姿と何ら変わりがないのだ。
課金は時間効率を高める要素もあり、予算を決めた範囲内ならどう使おうと構わないだろう。ただ先に指摘した、条件の揃わない競争に熱くなると、絶対に特定のキャラクターが欲しいという欲望と同様に、歯止めが効かなくなる恐れがあることには留意されたい。
真理開眼とどう付き合うか
さて、真理開眼と言うと、いみじくもニコ生動画か何かで今泉プロデューサーが言っていた言葉が耳に残っている。
皆さんは、タガタメって、ユニットを直ぐにカンストできると思っているでしょう!?
確かこんな言葉で、真理開眼の導入は、そんな思い込みを払拭し、プレイヤーが各々の趣向に合わせて選定したユニットを育成していくよう方向付けたいと云ったニュアンスの話をされたと記憶している。
その為、敢えて育成が追いつかないという声が出るようなペースで、真理開眼対象を拡げているのだと理解している。
そして、この考え方には同意する。
キャラ愛の表現
どういうことかと言えば、真理開眼が導入されたユニットを軒並み完成させていくのでは、プレイヤーの個性が無くなってしまう。
例えば、私は真理開眼したのはクロエであり、ザハルであり、リンである。ところが、他の人はアナスタシアであり、グランツでありと言った状況の方が相応しいし、楽しいと感じられるからだ。
私はラーストリスならザハルが好きだが、アナスタシアが好きな人も居るだろうし、ローザが好きな人も居るだろう。各々優先順位が違うから、個性が出る。優先順位を付けることで、キャラ愛も表現される。
水属性と考えれば、リンの真理開眼より、シェンメイを優先する人も多いだろう。※
※ オーティマは魂の欠片を入手するのが必ずしも容易では無い。
真理開眼の導入されるペースを追いかける必然性は全く無いはずで、マイペースで楽しめば好いのだ。
コラボユニットなどでは、さすがにまとまった時間を割けないと厳しいとは思うが、各人が各様に割ける時間とお金で育成すれば好いはずのものなのだ。
真理開眼はキャラ愛を表現する場所と見れば好いのではないだろうか。
真理開眼の導入ペースに追いつかなければいけないと云う強迫神経症的な人がかなりいるように見えるのは、実際、残念だ。
確かにエクストラステージ極などでは、ユニットの能力がもう少しあれば良いのにと思うことは少なく無い。
だが、ゲームというものの性質上、楽勝になったから楽しいということでは無いはずなのだ。
手応えの向こう側に勝利の喜びはある。
真理開眼したユニットが意味するもの
真理開眼では、555にするのに骨が折れるからこそ価値があると言えるだろう。
その苦労を必ずしも強力とは言えないキャラクターユニットに割いて555にするからこそ、そのキャラクターが好きなんだと誇れるのではないだろうか。
軒並み真理開眼を完成して555にし、無双したところで、それは単にユニットの力だし、課金の力と時間の力を誇っているに過ぎないのではないか。
育ち切っていないユニットを駆使して難易度の高いクエストを攻略する方が遥かに誇らしいと思うがどうだろうか。